ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆
覚えておきたい一文:
本書における私の主張は要約すると次のようなことになります。
「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。なんとなくおとっているという意識である。
おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」
引用したのは梅棹忠夫『文明の生態史観』からです。この文章が書かれたのはもう半世紀以上前ですけれど、ほとんど同じ命題を私がもっと拙劣な筆を繰ってこれから繰り返さないといけない。どうしてかというと、みんなこういう重要な知見を忘れてしまっているからです。どうして忘れたかというと、外来の新知識の輸入と消化吸収に忙しなかったからです。どうして、そんなに夢中になって外来の新知識に飛びつくかというと、「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識」に取り憑かれていたからです。
本書で指摘されていますが、確かに自由を求めて移民した人たちが国をつくったアメリカなんかは、アメリカ人が共通に有する文明の出発点があるんですよね。一方の日本って、そういう共通の物語がないんですよね。人によっては明治維新かもしれないけど、日本書記に書いていると思っている人もいるかもしれない。なんか、軸になるものがないんですよね。そういうのって、色濃く日本人の考えに影響している気がする。
…「どこでも寝られる人」もそうです。どこでも寝られる能力はストレスフルな環境を生き延びる上できわめて有利な資質ですけれど、もちろんどこでも寝ることは現実には不可能です。私たちの周りはうっかり眠り込むことのできない種類の危険に満ち満ちていますから。それでも「私はどこでも寝られる」と公言する人がいたら、それはその人が「寝てもいい場所」と「寝てはいけない場所」を先駆的に識別できているからです。
そういうものなのです。私たちがある種の能力を発揮できるのは、その能力が発揮できるようにする予備的能力を有しているからです。その能力を発揮してもよい場所と時間を言い当てることができる能力が備わっているからです。能力は二段構えに構造化されている。
「何でも食べられる人」「誰とでも仲良くなれる人」などなど、いろいろ資質はありますが、たしかに予備的能力がありますね。意識的/無意識的に識別していますね。なるほどなぁと思った指摘。
ひとことコメント:
本の冒頭でも書かれていますが、ちょっとパッチワークが多い本。ただ、知識をまとめるのは大変なことだから、それをやってくれる作業は意味があると思います。この人の本には、いつも考えさせられる。
