『雑文集』


ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆
覚えておきたい言葉:

かおりさん、ご結婚おめでとうございます。僕もいちどしか結婚したことがないので、くわしいことはよくわかりませんが、結婚というのは、いいときにはとてもいいものです。あまりよくないときには、僕はいつもなにかべつのことを考えるようにしてます。でもいいときには、とてもいいものです。いいときがたくさんあることをお祈りしています。お幸せに。

水丸さんはなんといってもとても親切な人で、僕が7年くらい前に家を建てたときに、和室の襖絵と掛け軸を描いてくれませんかとお願いしたら、「いいよ、やりましょう」とこころよく引き受けてくださった。そしてはるばるうちに来て、こしこしこしと墨を摺って、筆で見事な富士山と魚の絵を描いてくださった。ときどきその襖絵を見て「ほう、これは珍しいなあ。プリンと煮干しの襖絵ですか」と訊く絵心のない人がいるけれど、あれは富士山と魚です。だってそうでしょう、人の家の襖にわざわざプリンと煮干しの絵を描くような人間がどこにいるっていうんだ?

 本を読んでいて、ある一節がどうしても頭を離れなくなってしまうことがある。たしか18歳のとき、トルーマン・カポーティの「最後の扉を閉めろ」という短編小説を読んで、最後の一節が頭にこびりついてしまった。こんな文章だ。
「そして彼は枕に頭を押しつけ、両手で耳を覆い、こう思った。何でもないことだけを考えよう。風のことを考えよう、と」
 最後の”think of nothing thing,thimk of wind.”という文章が、僕はとても好きだった。日本語にその響きを正確に翻訳するのはほんとうにむずかしい。トルーマン・カポーティの美しい文章の多くがそうであるように、そこにはある種の響きの中にしか生きられない心のあり方が描かれているだ。
 そんなわけで、何かつらいことや悲しいことがあるたびに、僕はいつもその一節を自動的に思い起こすことになった。「何でもないことだけを考えよう、風のことを考えよう」と。そして目を閉じ、心を閉ざし、風のことだけを考えた。いろんな場所を吹く風を。いろんな温度の、いろんな匂いの風を。それはたしかに、役に立ったと思う。

 彼はピアノを指してこう答えた。
「新しい音(note)なんてどこにもない。鍵盤を見てみなさい。すべての音がそこに既に並んでいる。でも君がある音にしっかり意味をこめれば、それは違った響き方をする。君がやるべきことは、本当に意味をこめた音を拾い上げることだ」
(中略)
 小説を書きながら、よくこの言葉を思い出す。そしてこう思う。そう、新しい言葉なんてどこにもありはしない。ごく当たり前の普通の言葉に、新しい意味や、特別な響きを賦与するのが我々の仕事なんだ、と。そう考えると僕は安心することができる。我々の前にはまだまだ広い未知の地平が広がっている。開拓を待っている肥沃な大地がそこにはあるのだ。

感想など:最近、村上春樹さんの昔のエッセイが集中的に出版されている。うれしい反面、「もうちょっと時期をずらせばいいのに」とも思う。まぁ、面白いんだけどさ。この本は、最後の数コラムを残して放置していたので、読了が遅れました。

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