『津波と原発』

ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆
覚えておきたい言葉:

(原発)反対運動が盛り上がらなかったのはなぜだったと思いますか。そう尋ねると、大和田はなかなか含蓄あることを言った。
「東電がうまかったからです。第一原発を稼働させると今度は第二原発をつくる。それだけでも反対運動が拡散してしまうのに、すぐそばの浪江、小高に東北電力の原発が建設されるという話になる。反対派は、第一はできてしまったから仕方なく安全にというほかなくなり、第二はこれ以上増やすな、浪江と小高は土地を売るな、と三つの活動を同時にしなきゃいけないことになった。そうこうするうちに原発でうるおう人が多くなり、反対運動ができにくくなってしまった」

−−福島第一原発事故はまったく収束のメドさえついてません。この状況をどう思いますか。
「飛行機でいえば、ダッチロール状態です。どっちに向かって、どう進んで行ったらいいか、誰にもわからない状態です。原発というのは要するに、運転しているときが、つまり動いているときが一番安全なんです。逆にいえば、止めた後が大変なんです。東電がオール電化を進めていたのも、原発を運転しつづけるという大目標があったからこそ、できたことなんです」
 動いているときが一番安全。この言葉は原発の恐ろしさを最も正確に言い当てている。原発の稼働開始は、コンビニに終夜明かりを灯させ、自動販売機を常夜灯のようにさせた。原発は無限成長という絶対にあり得ない神話をつくりだしたのである。結果的にいえば、その神話にほとんどの日本人は踊らされたことになる。

−−あらためて聞きますが、東電はなぜ、あの地区に原発を持ってきたと思いますか。
「米がつくりにくい土地だったことは、理由としてあげられると思います。あそこは丘陵地帯で、アップダウンはきついし、土地から塩が出る。だから、酪農くらいしかできなかった」

 双葉町の歴史を、財政の面からちょっと振り返ってみよう。福島第一原発ができたとき、双葉町は潤沢な電源三法交付金によって、全国でもトップクラスの豊かな自治体となった。
 だが、経済浮揚のカンフル剤だと思っていた電源三法交付金が、覚醒剤にかわるのは、あっという間だった。
 電源三法交付金は発電所の工事開始から運転開始の五年後まで正規に払われるが、六年目以降は大きく減額する。新たに電源三法交付金を支給してもらおうとすれば、原発を新規に建設しなければならない。
 現双葉町の井戸川克隆が、三ヶ月給料ゼロの窮地に追い込まれながら、七、八号機の増設に大きな期待をかけていたのも、そのためである。

感想など:図書館で予約していた本がまわってきた。ノンフィクション作家の中では最も力がある人物の話なので読みたかった。
前半の現地を歩く話はちょっと感傷的で入り込めなかったものの、後半の福島原発の成り立ちについての分析はさすが、と思いました。余震も多い「浜通り」が、原発ができるまでいかに貧しかったかなどの背景がつかめました。「原発銀座」と呼ばれたあの地域はこれからどうなるんだろう。電力の安定供給という恩恵を受ける都市に住む身としても考えさせられる。

タイトルとURLをコピーしました