ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆
覚えておきたい言葉:
実力主義にはプラス面も多いが、人間社会の他のすべての事柄と同じでマイナス面もある。実力主義とは、結局は実力でカタをつけるしかない解決法なのである。
◇
おそらく、皇帝セヴェルスは、ローマ軍の強化のみを考えてこれらの政策を実施したのにちがいない。なにしろその意図ならば、帝国の安全保障を担当する兵士たちの社会的経済的な待遇の改善にあるのだから、立派でしかもヒューマンな意図である。善意から発していたことは、まちがいなかった。だが、ユリウス・カエサルはすでに、250年も昔にこうも言っている。
「結果は悪かったとしても、当初の意図ならば立派で、善意に満ちたものであった」
セヴェルスの改革によって、軍団生活が居心地良くなりすぎてしまったのである。
給料は上がる、出世の道は開かれる、愛する女に正式な妻の座も与えることができる。これらはすべて、20年の満期除隊を待たずとも実現するようになったのだ。もはや以前のように、満期除隊の日を待ちわびる必要もなくなった。以前ならば、敵の襲撃が予想され、それによって除隊が延期されたりすると、暴動まがいのストライキにまでなったのだが、それもまったく起こらなくなる。除隊が延期されるということは、その期間の給料がもらえることであり、また、兵期に準じて決まってくる退職金も増額するからである。言い換えれば、体力が許すかぎりは基地暮らしがつづいても、不都合ではまったくなくなったということであった。これが、ローマ帝国の軍事政権化のはじまりになる。兵士たちがミリタリーでありつづけることに不満をもたなくなった結果、シビリアンになっての第二の人生を切り開く意欲の減退につながり、それが、ローマ社会での軍事関係者の隔離になっていったからである。
(中略)
軍事関係者の一般社会からの孤立ぐらい、彼ら自身のために良くないばかりか、社会全体までもゆがめてしまうこともない。なぜなら、孤立感はそれを感ずる者の間での結束につながるからであり、その行きつく先は、他とのバランスを忘れた暴走以外にはないからである。
◇
歴史家カシウス・ディオが伝えるところによれば、セヴェルスは苦しい息の下からカラカラとゲタの二人に向い、次のように言い遺したという。
「互いのことも考えて、兄弟で仲良く統治するように。兵士たちを優遇し、それが他の何よりも優先することを忘れてはならない」
こう言ったセヴェルスは、その後にまるで独り言のように、次のようにつづけた。
「わたしは、すべてをやった。元老院議員でもあった。弁護士もやった。執政官も務めた。大隊長もやった。将軍でもあった。そして、皇帝もやったのだ。つまりは、国家の要職はすべて経験し、しかも充分に勤めあげたという自信ならばある。
だが、今になってみると、そのすべてが無駄であったようだ」ローマ時代の史家たちは、この後のカラカラとゲタの間の展開を知っているがために、皇帝セヴェルスのこの最後の言葉を、自分が創設した皇統のあまりにも早い終焉を予想した嘆きであると解釈する。そして、後代の歴史家たちは、ローマ帝国の滅亡までを知っているがゆえに、セヴェルスは、下降一方のローマ帝国はもはや止めようがないということを悟ったのだ、と解釈する。おそらく、この両方ともが正しいのであろう。
◇
死ねば誰でも同じだが、死ぬまでは同じではない、という矜持をもってローマを背負った、リーダーたちの時代は終わったのである。
この後にも、この種の矜持を自らの生き方の支柱にする人は、個々別々には出てくる。だが、彼らが主導権をふるえた時代というならば、確実に終わったのである。
そして、この後のローマ帝国は、歴史家たちの言う「3世紀の危機」に突入する。魚は頭から腐る、と言われるが、ローマ帝国も、「頭」から先に腐って行くのだった。
感想など:終わりが始まったローマ帝国。この巻の途中くらいで「ああ、確かにまずい展開だ」と感じるようになる。カエサルの「結果は悪かったとしても、当初の意図ならば立派で、善意に満ちたものであった」という言葉を持ってくるのはうまいなぁと思った。日本の今の政治とかにも言えそうだけど。何度も思うが、ダメな皇帝の巻の方が、学ぶことが多い。
