『散るぞ悲しき』


ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆☆
覚えておきたい言葉:

 硫黄島は、太平洋戦争においてアメリカが攻勢に転じた後、米軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦場である。最終的には敗北する防御側が、攻撃側にここまで大きなダメージを与えたのは稀有なことであり、米海兵隊は史上最大の苦戦を強いられた。
 米軍側の死傷者数2万8686名に対し、日本軍側は2万1152名。戦死者だけを見れば、米軍6821名、日本軍2万129名と日本側が多いが、圧倒的な戦闘能力の差から見れば驚くべきことである。
 日本側が各地で敗退を続ける中、乏しい装備と寄せ集めともいえる兵隊たちを率い、これだけの戦いができたのは、栗林の断固たる統率があったからである。敵将からの評価も高く、硫黄島の上陸作戦を指揮した米海兵隊の指揮官ホーランド・M・スミス中将は、その著書の中で次のように述べている。
 栗林の地上配備は著者(筆者注:スミス中将)が第一次世界大戦中にフランスで見たいずれの配備よりも優れていた。また観戦者の話によれば、第二次世界大戦におけるドイツ軍の配備を凌いでいた。(「米国海兵隊と太平洋進撃戦」より)

(前略)日本でも、この歴史的な写真を目にしたことのある人は多いに違いない。しかし、星条旗のポール、つまり旗竿に使われたものが何であったか知る人は、ほとんどいないはずだ。(中略)
 それは、日本軍が雨水を集めて利用するために作った貯水槽に取り付けられていたものだった。米軍の空爆によって貯水槽は完全に破壊され、パイプにもいくつか穴が開いていた。
 海兵隊員たちにとってそのパイプは、瓦礫の中から拾ったガラクタでしかなかった。しかし日本兵たちにとっては、それ以上の何ものかであった。水のない苦しみを経験した者でなければ、冷たい水が飲みたいと言いながら死んだ戦友を看取った者でなければ、その薄汚れたパイプの価値はわからなかったはずだ。(中略)
 アメリカの勝利と占領の宣言である、硫黄島の星条旗。それが結びつけられたのは、2万余の日本兵にとって生命をつなぐ道具だったものの残骸であった。この奇妙で残酷な取り合わせは、比類なく完璧な写真の中に定着し、今なお全世界の人々の目にさらされ続けている。

 日本兵が戦友の遺体ばかりが増えてゆく地下壕の中で渇きに苦しんでいるとき、米軍側の前線の数キロ後方では米兵が温かいコーヒーを飲み、シャワーを浴びていた。日本兵が故郷からのすり切れた手紙を懐に息絶えているとき、米兵は航空機が本国から運んできた家族からの手紙を受け取っていた。

 夫が硫黄島で戦死したとき、義井は40歳だった。19歳で嫁いで来て以来、家庭から出たことのなかった主婦が、子どもたちを抱え、自分が生活を支えなくてはならなくなった。
 次女のたか子は、終戦直後、両親の実家のある長野市で、どこからかのしいかを仕入れてきて露天で売っている母の姿を覚えている。東京に戻ってからは、中野駅の近くにわずかな場所を借り、下駄や履物を売った。(中略)
 栗林は義井に、軍人の妻として夫の名前を汚さぬように生きよとは言い残さなかった。むしろ逆のことを、硫黄島からの手紙で伝えている。子供たちの養育をよろしく頼むという意味のことを述べた後で、次のように書き記しているのである。
 
 なおこれから先き、世間普通の見栄とか外聞とかに余り屈託せず、自分独自の立場で信念をもってやって行くことが肝心です。(昭和19年9月4日付 妻・義井あて)
 (中略)
「世間」も「普通」もどうでもよい、信念をもって自分らしく生きよ。きびしい現実に立ち向かい、子供たちとともに強くあれーーそれが、もう自分が家族を守ってやることはできないと覚悟した栗林が妻に求めたことであった。それに応えて、義井は見栄や外聞とは無縁の強さをもって戦後を生きたのだった。

 

 硫黄島に渡ってからの栗林の軌跡を辿っていくと、軍の中枢にいて戦争指導を行った者たちと、第一線で生死を賭して戦った将兵たちとでは、”軍人”という言葉でひとくくりにするのがためらわれるほどの違いがあることを改めて見えてくる。安全な場所で、戦地の実情を知ろうともせぬまま地図上に線を引き、「ここを死守せよ」と言い放った大本営の参謀たち。その命を受け、栗林は孤立無援の戦場に赴いたのである。
 平成6年2月、初めて硫黄島の土地を踏んだ天皇はこう詠った。
 精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
 見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下2万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに”精魂を込め戦ひし人”であった。
 この御製は、訣別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」に改変したあの歌である。
 これは決して偶然ではあるまい。49年の歳月を超え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で。

感想など:
新聞か雑誌でこの本の紹介を見て、気になったので図書館で借りました。アメリカがはじめて占領した日本の本土である硫黄島。恥ずかしながら、この島のことを知ったのは、数年前の映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』がきっかけでした……遅いなぁ。日本軍と米軍が激烈ともいえる戦いを繰り広げたのは、この島が米軍に落ちれば、東京をはじめとする日本本土への空襲が容易になるためでした。
大本営の無謀な戦略と戦術の犠牲になったと言える日本兵について「散るぞ悲しき」と詠った栗林中将。そして、その辞世の句でさえ「散るぞ口惜し」と改変して戦意向上をはかろうとした大本営。太平洋戦争を扱った本を読むのは苦手でしたが(あまりに日本軍というか日本の悪い部分が露呈しているので)、この本は読んでよかった。家族のために国を守ろうと必死で戦った人の姿が伝わってきたので。
ちなみに、上で記述している米軍が掲げた星条旗はこれですね↓

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