敵と似た者となるな

大学の時、遅い反抗期に突入した。
ゼミに入らなかったし、
卒論もなかったので ほとんど人と交わらなかった。

今になると、もったいないことをしたかな、とも感じるが、
学校辞めるかどうするか考えていたくらいの反抗状態だったので、
卒業しただけでも良しと都合よく解釈している。

そんな大学生活の中で、五百旗頭真(いおきべ・まこと)先生の
授業だけは、面白かった。
よく遅刻するし、休講もたびたびだったが、 雑談が面白かった。
外交論とか、占領期の日本を習った。

先日、編集の仕事をご一緒させていただいている方に、
「この先生の授業は面白かったです」とたまたま話していた。

今日、出勤したら、その人からFAXが届いていた。
先生が毎日新聞に書いた記事だった。
タイトルは、「敵と似た者となるな」。以下引用。

「すぐ喧嘩腰になる品の悪い人が一人でもいると、家族であれ職場であれ雰囲気全体が悪くなりがちである。 悪者に食いものにされないよう対抗上こちらも厳しく対応する。怒鳴られれば、こちらも劣らず大声で応酬する。腕を振り上げれば、蹴りを入れる構えをする。この情景をたまたま通りががかった人がみれば、双方とも恐るべき荒くれであり、まるで内戦状態の社会に見える」

「敵と似た者となるな」、そう言ったのは、
 冷戦戦略の構築者G・F・ケナンという人だそうです。

かつて、一党独裁だったソ連に対して、
民主主義のアメリカはある意味で、
不利だったと先生は記事に書いています。
ソ連はアメリカと違い、国内世論に縛られることなく、
敵(アメリカ)社会の一瞬のスキをつくことができるからです。
けれど、結局、冷戦に勝ったのは
社会に活力があったアメリカでした。
このことからも、「敵との対抗にむきになって
自らの輝きを見失ってはならない」と
導き出せるのではないかと指摘しています。

これは、本当にそうだよな、と思いました。
僕も気をつけようと思った。嫌な目に遭っても、
不快な相手と同じ土俵に乗っちゃダメなんだと。
さらに引用。

「戦後日本は長く平和にふけり、喧嘩腰になることなど想像もできない状況にあった。ところが冷戦終結後の長期不況とあいつぐ危機の中で、 日本人の心に自信と余裕が失われ、怒り易くなった。 とりわけ北朝鮮と中国の粗暴に日本人は憤激し、それを言いたてて自らが『毅然』の名において 応酬する心理劇にはまろうとしている。他国の粗暴を見るにつけ、自らの高き品位に自信を深め、『敵と似た者となるな』と言い交わそうではないか」

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