ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆
覚えておきたい言葉(引用):
若い人が心を病む方向に行ってしまいがちなのは、「悩んで当然」というかたちで体力を養わなかったのが第一でしょう。人はうっかり明日のことを考えてしまうと、あさって、しあさってと、どんどん先のことばかり考えてしまうんです。
そこから、つい、今の自分のままの状況で遠い未来の虚無みたいなものを見てしまって、そういう未来の虚無みたいなものを解釈する力は自分にはないと思いこんでしまうのではないでしょうか。私だって、うっかり明後日ぐらいのことを考えそうになったら、「まだ今日や明日のこともやっていないのだから」と思い直すようにはしているんですが。
今の若い人が絶望的になりやすいのは、今日がどうやって明日につながるかについては考えないまま、「あんまり変わらない明日しかないよな」と思いこんで「さらに、じゃあ」と10年後や20年後を見てしまうからなんでしょうね。でも、そもそもそんなふうに未来の虚無みたいなものを見てしまうのは自分の現在に立脚できていないからであって、今日できることをやることが、少しずついい明日を作っていくことにつながるんじゃないの、と思うしかないわけです(橋本治)。
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今、書いている長編小説(取材当時に執筆中だった『1Q84』)は、すべて三人称で書いています。昔は一人称でしか書けなかったけれど、『海辺のカフカ』では一人称と三人称を交互に出して書いて、その後には、短編集の『東京奇譚集』と中編の『アフターダーク』で三人称を試して、それで今回の長編の持ちこんでいるんです。
つまり、長期的に見ると、僕は一人称から三人称に徐々にシフトしてきているわけですね。新訳したのはたまたまどれも一人称の小説だけど、こういうものを訳せるようになったのは、今の時点では、もう一人称の文体とある程度の距離を取れるようになったというのが大きいのかもしれません。自分に密着しすぎているものって、やっぱり訳しにくいですから。
体を鍛えていることもそうですけど、僕にとっての翻訳って、今よりほんのちょっとでもよい小説を書くために続けてきたものなんです。僕は小説家として、ほんとうに欲が深いんですよ。でも、すべての小説家は自分が書くものに対して欲深であるべきなんじゃないのかなとも思います。現状で満足をしていたらどうしようもないですから(村上春樹)。
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短い時間に気持ちを凝縮させて書けたことは、僕自身にとっては幸せなことでした。『コインロッカー・ベイビーズ』の時、村上龍さんが、100メートルダッシュを繰り返して42.195キロを走った、とあとがきに書かれていましたが、その言葉をずっと意識しながら書いてきました(重松清)。
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僕はよく「死を描く」と言われるけれど、実際には残された人のことを描き続けているんじゃないかと思うんです(是枝祐和)。
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僕がインタビューを続けているのはミーハーだからですが、ただ、僕は好きな人の写真やポスターを集めて満足するタイプのミーハーではないんです。有名人とメシを食ったことを自慢するタイプのインタビュアーは馬鹿ですよね。
たとえばジョン・レノンは僕にとっては神様のような存在ですけど、それでも彼と2時間食事するよりは30分のインタビューをするほうが絶対におもしろいと思うんですよ。もっと言えば、100回のメシよりも1回のインタビューのほうがいいんですよ。
ミュージシャンと100回寝るよりもその人のコンサートを1回観るほうが本質を理解できるというのが表現というものの持つすばらしさでしょう?
知人に対してであろうが他人に対してであろうが作品は平等に開かれていて、作品を通せば誰だってアーティストに同じ距離で向き合える。だから取材で作品も検証もできるわけで、インタビューをするのはおもしろくて仕方がないんです(渋谷陽一)。
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週刊連載で鍛えられたのは、一週間ぶん、19ページで読者にひとつのアイデアを伝えるというコツかな。たくさん詰めても読者にわからない漫画になってしまうから、ひとつでいい、と若い頃に編集者に言われてから、今でも月刊でも大きい見せ場は一つです。最後のページではさらに人物や状況がパワーアップして「……どうなるんだ?」と引っ張るのが、まぁ基本ですね(荒木飛呂彦)。
感想など:この本、おもしろかった。冒頭で引用した橋本治さんの言葉に納得。「悩んで当然」を前提に生きていくこと、けっこう大事ですね。悩んでいると忘れちゃうことです。
