ステータス:途中
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆☆(おもしろい!)
覚えておきたい一文:
システムは、それがどのようなシステムであれ、個々の人間が個々に決断を下すことを、ほとんどの場合認めないということです。たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズド・サーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。
それがオープン・サーキットであれば、ある程度の個人的判断が可能なんです。でも一回閉鎖されてしまうと不可能になる。サリンを撒けと命じられたときノーと言えばよかったじゃないかとか、サリンの袋を持って逃げればよかったじゃないかと言う人がいますが、クローズド・サーキットに1回入ってしまうと、そんなことまずできなくなってしまいます。でも法律的にはそれは純粋に犯罪として裁かれなくてはいけないし、裁かれれば有罪になるし、有罪になれば量刑的に死刑判決は避けられない。そういう怖さを、僕は法廷でひしひしと感じた。
オウムの裁判に立ち会った村上春樹さんならではの洞察だと思います。きっと、オウムほどではないにせよ、社会で生きていればたくさんのクローズド・サーキットに出会うのでしょうね。それに絡めとられないよう生きていけるかどうかが、人生を決めるのかもしれませんね。
体の芯に、簡単にはさめない確かな温もりがあること、そのフィジカルな質感がそなわっていること、それが大事だと思うんです。手を握るという行為をとおして、登場人物たちはその質感を確かめ合っているのかもしれない。重しのありかを探っていたのかもしれない。僕がインタビューしたオウムの信者の人たちには、そういう重しみたいなものがいまひとつ感じられなったです。言葉も滑らかだし、ロジックもきちんとしているし、聞いていてなるほどと思うんだけど、体の芯から伝わってくるものが希薄です。
それより、僕がお目にかかった被害者の人たちには、それがあります。日常生活がもたらすあれこれのできごとを通して、水がいろんな地層を通り抜けるように、自然とにじみ出てきた質感です。それはごく平凡な、ささいなものかもしれない。見栄えはそれほどよくないと思う人もいるかもしれない。でも、この人はこういう人なんだという、手を伸ばせばさわれる質感がそこにはあります。それがその人の人格をつくり上げている。その人格を評価するにせよしないにせよ、好きになるにせよならないにせよ、それはそこにあります。
天吾も青豆も、10歳のときに互いの手をしっかりと握りあったことで、体の芯の温もりみたいなものを獲得することができた。とてもフィジカルな記憶です。その温もりの記憶が2人を結果的に助けることになります。おそらく牛河もタマルにも、そのような体験はなかったはずです。
「体の芯の温もりみたいなもの」、大事ですよね。方位磁石みたいなもんですね。人生の。
もちろんとても良心的な批評家もいるし、すぐれた批評もあります。でも原則的なことを言えば、本当に大事なことは、そんな簡単に言語化できないんです。説明することができないんです。言葉では説明できないから、僕らは物語を書くんです。
星の王子さまも同じようなことを言ってますね。深い悲しみは、言語化するのに何十年と余裕でかかりますよね。
ひとことコメント:
今日、仕事から早く帰れる日だったので、本屋に寄りました。そこで発見した『考える人』に春樹さんのインタビューがのってます。このインタビューは、すごくおもしろいです。ずっとずっと知りたかったことがたくさんのってました。春樹さんへの100の批評を読むより、断然いろんなことがわかります。
昔、『海辺のカフカ』が出た後、春樹さんが読者からの質問に返信してくれることがありました(後日、『少年カフカ』として発売)。そのとき、春樹さんの文体について質問したら、幸い返信がありました(『少年カフカ』では、質問に合わせた安西水丸さんの挿絵も入れてくれたので、数少ない宝物になっています)。その時の返信内容だけではつかみきれなかった、春樹さんの物語にかける思いが、このインタビューを読んでよくわかりました(あくまで僕の理解の範囲ですが)。本当にいいインタビュー。
