「亡き父親が約四十年も教鞭をとった慶応義塾大学にイサムが立ち寄ったときである。空襲で廃墟となった同大学校舎の 復旧工事を一任されていた谷口は、三田山の頂上にできあがった三田第二研究室の教職員ホールの 室内デザインを、イサムに依頼することを思いついた。父親ゆかりの大学だけに、谷口によると、イサムは即座に谷口の手を握り、その申し出を承諾した。 かつては野口の姓を名乗ることさえ許さなかった『父親』。イサムの心のなかで父親は長いこと、混血の私生児として 自分をことごとく差別した『父の国』そのものであった。 日米戦争の終結はその父親に心をひらかせ、また幼いころから抱いてきた『父の国』への怨念に終止符をうった。 イサムは谷口の依頼を、《父と日本の人々との和解の行為だと思い、一途に打ち込んだ》」『イサム・ノグチ 宿命の越境者』より
萬来舎 3
イサム・ノグチ巡礼