ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆
覚えておきたい言葉:
ゲルマン人の、ガリア人を自分たちの側に引きつけようとするときの常套句は、いつも決まって自由と独立の二語である。だが、忘れないでもらいたい。他者を支配下におくことを考えた民族で、この二語を旗印にかかげなかった民族は皆無であるという人間世界の現実は、忘れないでもらいたい。
ローマの武将たちの多くに共通する特色は、武人らしい見栄、ないしは虚栄心に無縁であった点である。彼らは、少数の敵を多数で攻めることに何のためらいもなかった。多勢で攻めるのは、解決を早めるとともに敵味方双方の犠牲を少なくするためでもあったからである。五百人程度が守るマサダの要塞を攻めるのに十倍の兵力を投入したことを軽蔑する人がいたならば、それはローマの武人の精神を知らない人である。ローマ軍の戦法は、ユリウス・カエサル著の『ガリア戦記』にも見られるように、兵力や兵器や兵糧補給のような確定要素を整えることからはじまる。その後で、わが軍は個々の兵士の士気の面でも優勢であった、と言う。つまり、精神力のような非確定要素は最後にくるのだ。第二次大戦当時の日本軍では、この非確定要素が第一位にきた。敗れたのは当然の帰結である。
社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかないからである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。現代でも問題になっている人種差別感情が意外にも社会の低層に強い現象を思い起こすだけで、この問題の深刻さは理解できよう。それが古代のローマのように、社会の階級別を認め、ただし階級間の流動性を認めるならば、外部の人々の流入を拒絶する理由はなくなる。まずは下層に入ってもらい、その後の上昇はその人しだい、というわけだ。一方、はじめから実力を示せる人に対しては、その実力にふさわしい階級への参入をただちに認める。民主制を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和制時代には元老院主導という形での寡頭政、帝政時代に入ると君主制に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に値すると確信する。
感想など:チビチビと読んで、現在、ヴェスパシアヌス帝が終わったところ。ようやく危機の時代が終わったようだ。
