『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

ステータス:読了
評価(最高が5つ星):☆☆☆☆
覚えておきたい言葉(引用):
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところに沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」。沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」
「どうしてこんな話になってしまったんだろう?」、つくるは半ば自分自身に向けてそう言った。むしろ明るい声で。「この話はこれまで誰にもしたことはなかったし、話すつもりもなかったんだけど」
 沙羅は淡く微笑んだ。「誰かにその話をしちゃうことが必要だったんじゃないかしら。自分で思っている以上に」

「『コックはウェイターを憎み、どちらもが客を憎む』」と灰田は言った。「アーノルルド・ウェスカーの『調理場』という戯曲に出てくる言葉です。自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります。そう思いませんか? 僕はそういう生き方をしたくない」

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

 エリは言った。「東京に帰ったら、すぐ彼女にすべてを打ち明けなさい。それが君のやるべきことだよ。心を開くことがいつもいちばん良い結果をもたらす。ただ、彼女がその男の人と一緒にいたところを見たと言っては駄目よ。それだけは自分の心にとっておきなさい。女の人にはね、見られたくないことがあるの。でもそれ以外は、君の気持ちを残らず正直に話した方がいい」
「僕は怖いんだ。自分が何か間違ったことをして、あるいは何か間違ったことを口にして、その結果すべてが損なわれ、そっくり宙に消えてしまうかもしれないことが」
 エリはゆっくり首を振った。「駅をこしらえるのと同じことよ。もしそれが仮にも大事な意味や目的を持つものごとであるなら、ちょっとした過ちで全然駄目になったり、そっくり宙に消えたりすことはない。たとえ完全なものではなくても、駅はまず作られなくてはならない。そうでしょ? 駅がなければ、電車はそこに停まれないんだから。そして大事な人を迎えることもできないんだから。もしそこに何か不具合が見つかれば、必要に応じてあとで手直ししていけばいいのよ。まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。用事がなくても電車が思わず停まりたくなるような駅を。そういう駅を頭に想い浮かべ、そこに具体的な色と形を与えるのよ。そして君の名前を釘で土台に刻み、命を吹き込むの。君にはそれだけの力が具わっている。だって夜の冷たい海を一人で泳ぎ切れたんだから」

感想など:すごいタイトルですが、読み終えてみると、違和感がなくなるのがたいしたものです。文量的にも超大作ではないし、代表作にはならないかと思いますが、村上春樹さんの作品の中でも好きな路線でした。勤務と勤務の間にあるぽっかり空いた休日、コーヒーショップで読みふけるにはうってつけでした。

読んでいる時、「人は人、自分は自分」と素直に思えるようになるのがこの作家にひかれる理由の一つかなと思った。まぁそう思うのが良いか悪いかは別にして、個人的に大事な価値観です。

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